コンフォートゾーンを抜けるときの違和感や不安は、人生が変わっていくときの儀式でしかない件。

2020年1月から1日6時間勤務に変わりました、サムサラです。

時短です、時短。

子どもを産んだわけでも親の介護が必要になったわけでもありません。『毎日スケートを滑りたいから』という理由で17時退社の時短勤務に変更しました。

お給料は減りません、そのままです。お給料そのままで時短に変更。時間単価で考えると実質的にお給料33%アップです。

すごく喜ばしいことだし、『そんなことってあるの?』っていろんな人に言われたし自分でもすごいなあと思うのですよ。

収入の心配をすることなく、毎日スケートの練習ができるようになった。すごいことだと思うし、本当に嬉しいです。

週末しか滑れないのはほんとうにもどかしかったし、『早く年明けにならないかなー!』って、ものすごく楽しみにしてました。

そして不安に襲われた

不思議なものですが、実際に時短生活が始まると不安に襲われました。どうにかすると17時を過ぎても仕事したい気分になっている自分がいるのです。

あんなにも毎日スケート滑りたいと思っていたし、今も思っているのに。

17時退社でスケートの練習行きたいから勤務時間を変更したのに、いざ17時退社できるようになったら17時過ぎても仕事しようとしてしまうなんて。普通に矛盾ですよね。

そうしないといけないような、なんともいえない不安というか、心許ない気分になったのですよ。

『変わるとき』の通過儀礼。

この不安、結局のところ『いつもと違うこと』をしようとするときの恒常性維持機能(ホメオスタシス)の抵抗なんだろうなと思います。

人間は生命を維持するために、『いつもと同じ』を維持しようと脳が仕事します。体温は一定に保たれ、内臓はいつもどおり仕事をして、生命を維持します。

いつもと違うことが起こるとそれを違和感としてアラートを出して、『危険だ!』と判断し『いつもと同じ』に戻そうとします。

習慣は特にそう。いつもと違う順番で何かをしようとしても違和感しか生まれない。私が17時退社するときに感じていた不安も、自ら進んで残業しようかななんて気分になってしまったのも、いつもと同じ19時まで仕事した方が安心だから。

『いつもとおなじ』は、いわゆるコンフォートゾーン。慣れ親しんだ習慣、慣れ親しんだ場所、慣れ親しんだ感覚の中で暮らせるゾーン。

でも、勤務時間しかり、勤務先しかり、なにかを変えようとすることはコンフォートゾーンを出る行為。人は、コンフォートゾーンを出ようとすると不安になるのです。生命の維持のために『いつもとおなじ』をキープしたいから。

つまり、人生を変えたいとか自分を変えたいとか、何かしら変わりたいタイミングには絶対にこの種の不安は発生するわけです。その不安で怖気付いてしまえば、もうその先の人生はなにも変わらない。今までとおなじ毎日が来て、変わりばえのしない予想通りの未来がやってくる。

もちろん、それは悪いことではないのだけど、なにかしら自分自身成し遂げたいことがあるとか、やりたいことがあるのであれば、『いつもとおなじ』に引き戻すための不安にいちいち構っていたらいけない。

新しい習慣が『いつもとおなじ』になるまで、せいぜい3週間です。最初は17時退社に不安を感じた私も、いまは当たり前のように17時に会社を出て、リンクに向かいます。

これが私の新しい暮らしで、新しい『あたりまえ』