平日の昼間の眠気が吹き飛びました、サムサラです。
職場でちょいと息抜きにfacebookを見ていたら目に飛び込んだ、昌磨さんファンページの投稿。
そこには、5歳でフィギュアスケートを始めた頃からずっと所属していたグランプリ東海クラブを卒業すると・・。
宇野昌磨オフィシャルサイト
https://shoma-uno.com
え。
ってなりました。
我が目を疑ったというか。
海外合宿の話をするときの覚悟が半端じゃなくて、ひょっとして海外に拠点を移すんじゃないかってネットでもファンのみなさんがいろいろ話していたのは見ていたんですよ。
確かに、昌磨さんが「覚悟」っていう強い言葉を使うことってすごく珍しい。「覚悟」って言葉を簡単に使ってはいけないって、この言葉を使うことを自分自身でセーブしていた感じがあった。なのにあえて「覚悟」って言葉を使っている時点で、とんでもなく大きな変化が始まるってことを、私たちファンもちょっと感じてた。みなさん、ほんとに察しが良い。
私は、昌磨さんは「美穂子先生のプログラムで世界に通用することを証明したいって話していたし」と、なぜか海外に拠点を移すことはないんじゃないかなって漠然と思っていた。
でもそうよね。
「中京大学はすごく恵まれているけど、トップ選手がふつうに一緒に練習している環境が欲しい」みたいなこと言ってたし。この発言のときにはもう海外に拠点を移すことも考えていたんだろうな。樹くんが実家に戻ったのも、受験だけが理由ではなかったのね。
フィギュアスケートのトップ選手として、この先何年競技できるかわからない。やれることを全部やって、本当に全部やりきって、トップの中のトップで争いたい、良い演技したいって思っているんだろうなと。
Embed from Getty Images2018-2019シーズンは、本人にとって本当にくやしいシーズンだったと思う。だからこそ、やれること全部やって、残り何年あるかどうかわからない競技生活を全力で送りたいんだろうな。
いつから考えていたんだろう。たくさん考えて、たくさん悩んで、導き出した結論が今回の卒業。先生たちもいろんなことを想いながら笑顔で背中を押してくれたんだろうなとか、そんなことを考えてたらなんだか切なくなってきた。
個人的には『純国産』で世界一を目指して欲しかった気持ちもあるし、名古屋に海外からトップ選手が集まるくらいになったら素敵だなあなんて考えていたけど、それはそれ。
昌磨さんが思う演技ができるようになるなら、それでいいかなって思う。「やりきった!」って思える競技生活になってほしい。
令和に変わったあの日に「いつかスケートを辞める日がくる」ことを意識した発言を聞いて、なんだか心臓がぎゅーっとなったのは私だけではないはず。悔いのないチャレンジをして欲しいって心底思う。
美穂子先生とのキスクラが見られないのは寂しいけど。これからも変わらず応援するぞ。
笑顔の昌磨さんをもっとたくさん見たい。
でもまあ、昌磨さんのことなので、海外にいる間の情報がいまよりももっと少なくなるんだろうなって思うとちょっとさみしい 笑
いままでは樹くんのtwitterにけっこう助けられてたからなー 笑
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